幼稚園教育要領によれば「身近な事象に積極的に関わる中で、物の性質や仕組みなどを感じ取ったり、気づいたりし、考えたり、予想したり、工夫したりするなど、多様な関わりを楽しむようになる。また、友達の様々な考えに触れる中で、自分と異なる考えがあることに気づき、自ら判断したり、考え直したりするなど、新しい考えを生み出す喜びを味わいながら、自分の考えをよりよいものにするようになる」と記載されています。

子どもは「なんで?」「どうして?」という不思議が大好きです。そして、その原因を知ろうとします。大人に質問責めを浴びせるのも、この思考力が高まった証拠。知的好奇心が旺盛になった事を意味しています。でも、本当に詳しく教える事が知的好奇心への回答なのか。私は違うと思っています。

 

例えば雨上がりに大きな虹ができた。「虹はなぜ出来るの?」との問いに正確に答えようとすれば、「光の屈折現象によって色分解が起こった」これを再現するには「プリズムに光を照射すると、同じ事が起きる」という説明になるのですが、どうでしょう?

私は太陽を背にして、ホースで水をまきちらし、小さな虹を作って見せるので充分ではないか、と思うのです。原理はわからないけど、こうやったら虹ができる、という「体験」「経験」が大切なのだろうと思います。「何で」の問いに正確に答えなくても「小人さんが渡る橋じゃない?」だっていいと思うのです。このような「不思議」を数多く体験すること。やってみること。それを数多く蓄積することで「この現象は前に体験した○○と似ている」という事を導き出す事も「思考力」です。

 

私事で恐縮ですが、私は小さい頃、置時計・目覚まし時計を分解するのが大好きで、いくつもの時計を修復不能にした「前科」があります。好奇心に耐えられない。「なぜ動くのか」「どうして音を出すのか」そんな「不思議」の回答が知りたくて、ネジ回しを手にし、順番にネジを外し、歯車を取り外した順番に並べていたそうです。そのおかげで、子ども達が使うものは、だいたい原理がわかり、故障もだいたい原因が推測できます。教育実習生が本実習で「これを作ろうと思います」と持ってくる試作品を見るだけで、「これは失敗するだろうな」「強度は大丈夫?」という事も推測できるようになりました。全ては犠牲となった目覚まし時計のおかげです。

 これは極端な例かもしれませんが、知的好奇心は発散させてあげる場が絶対に必要だと思っています。そして次に大切なのは成功した・失敗したではなく「やってみた」「自分で仮説をたてて推測した」という「経験の蓄積」ではないかと思っています。
幼稚園では最近、先生方の発案で知的好奇心を高めることを目的に、廃材を使った自由あそびを、今まで以上に多く取り入れていこう、という事になりました。空き箱や発泡のお皿などを「さりげなく」箱の中に入れておき、それを見た子ども達が「こんなもの、作ってみたい!」という欲求から制作を行う活動です。
作って見たらセロテープでは直ぐにはがれちゃう。じゃあ、幅の広いガムテープなら止まるかな?糊は使える?こんな活動を通じた知的好奇心を高めていきたいと思っています。

 先日の職員会議では、セロテープの幅は、小さなお友達でも扱えるよう、幅が広くないものにしようと言う事になりました。安全のためハサミだけは先生の前で使う事にしよう、と言う事になりました。
 この手の活動、失敗していいのです。それも経験。次に「あの時は失敗したから」と別の方法を考える。じゃあ、ボンドなら付く?(有機溶剤の入った接着剤だと、発砲スチロールは溶けちゃうんですけど、希望があればやらせてみたいと思っています)この「考える・推測する」ことが重要なのです。

こんな活動の中から「考える力」が育って欲しいと思っています。今からどんな作品ができるか、楽しみです。