幼稚園教育要領によれば「自然に触れて感動する体験を通して、自然の変化などを感じ取り、好奇心や探求心をもって考え言葉などで表現しながら、身近な事象への関心が高まるとともに、自然への愛情や畏敬の念をもつようになる。また、身近な動植物への接し方を考え、命あるものとしていたわり、大切にする気持ちを持って関わるようになる」と記載されています。

 

前回ご紹介した「虹はどうしてできるの?」にもつながるのですが、私たちの周りには自然がいっぱいあります。四季おりおりの風景、暑さ寒さ、花が咲いたり、北風が吹いたり、快晴の日、雨の日、雪の日など、自然と共に生活している訳です。この中での「不思議の発見」「探求」といったものを受け止めると同時に、遊びの中に取り入れようとします。この「気づき」をしっかり受け止め、次の活動につなげていく事が重要と思っています。そして飼育や栽培などの経験を通じて、身近な動植物への愛着、生命への尊厳・尊重などの「心の教育」につなげられれば良いな、と考えます。

  以前聞いた話ですが、あるお寺の幼稚園で飼っていた動物が亡くなったそうです。子ども達の反応は「寝ているだけ」「電池がきれた」等々、様々な意見を述べていたものの「死」という現実がわからない。そこで、そのまま置いておいたそうです。子ども達が「死」を認識したのは腐敗して匂いが漂ってきた時。その時、初めて「これは元にもどらない」という事を理解したそうです。これはなかなか勇気のいる措置で、お寺の幼稚園でなければできない体験でしょうね。でも、「生命」について貴重な経験をしたと思います。

今のテレビゲームなどでは、主人公が死んでもリセットボタンを押せば生き返ります。でも、本当の生命では生き返る事はありません。ゲームの延長で、他人に対して「死ね!」などと言う暴言を吐く人が多々います。ネットの世界では匿名性を良い事に、他人を傷つける言葉を平気で投げかける方もいます。それは「人」として、やって良い事なのか?これを理解できる人になって欲しい。そのためにも、生命の尊重という点で、飼育活動なども、もっと取り入れるべきと思っていますが、鳥インフルエンザが流行すると「衛生面に気を付けるように」「園児が飼育に参加する事は避けるように」「靴のままゲージに入るのでなく、履物を履き替え、終了後は必ず履物の裏を消毒すること」等々、指針が届きます。

こうなると飼育すらままならないのが現状です。ですが、難しい中でも植物に水をあげる等々、できる範囲で自然とのかかわり・生命尊重の意味を伝えていきたいと思っています。

  今年は飼育栽培として「オクラ」「ミニトマト」「あさがお」など、プランターでの栽培ですが、幼稚園でも取り入れてみました。先日、種を植えました。当番の園児さんが毎日水をあげて、育つのを楽しみにしています。ミニトマトができたら、一緒に食べたいと思っています。朝顔の花から汁をとって、絵を描く事もできそうです。どんな活動に展開するか、今から楽しみです。