すみません。ブログサボってしまいました。申し訳ありません。
ついに参議院議員選挙、公示になりました。子ども達のために、国が本腰を入れていただく良い機会かと思います。皆さん、選挙に行きましょう!「これは」と思う方に投票して下さい。国民の多くが関心を持っている事がわかれば、変な事ができなくなります。議員や政党を監視する、という意味からも投票率をあげる努力をしましょう!
選挙の度に各党の公約の中に入っている「憲法改正」という問題があります。今の憲法は、改正までのハードルが高い。なかなか改正の発議までいけない、という欠点があります。(あるように思います)だけど、ちょっと考えてみて下さい。
社会はすさまじいスピードで進化しています。腕時計が電話になるなんて、私が子どもの頃はSF映画の世界でした。でも、今はそれが可能。インターネットが社会を変え、文明の新化はすさまじいものがあります。そうなると、法律を作った時代に想定していたものと、実際の社会がかけ離れたものになっている事だって多いはず。それを憲法改正できないので「この法律の中の〇〇とは、△△まで含めるものとする」等々、「法律の読み替え」で何とか対応しています。でも、これでいいの?って事です。
法学部の学生が必ず刑法の講義で聞く話。「電気泥棒」というのがあります。
他人の家から電気を盗んだ人がいる。警察に捕まった。でも窃盗罪になるのか、って話になりました。物を盗むと窃盗罪。だけど刑法には「有体物を物とする」って規定があった。有体物とは目に見える形になったもの、という意味です。そうすると電機は目に見えない。有体物でないから、窃盗罪にならない、という訳です。裁判所はこう判断しました。「この法律で有体物とは、価値のあるもの、という意味である」この解釈で電気泥棒の方は窃盗罪となりました。直ぐに刑法が改正され「電機はこれを有体物と見做す」という一文が追加されたそうです。
さて、私の個人的な意見ですが、時代だけ大きく変わっているのに、憲法が変わらないのはおかしいのではないか、という事です。時代に合わせた「解釈」ではなく「内容」にするべきだと思います。ある意味「読み替え」ってどうにでもなります。法治国家と言うなら、きちんと法律に基づいた判断基準のもと、誰が見ても誰が判断しても同じ結果にならないといけないと思います。
こう言うと、憲法改正となると侵略戦争を行う国になってしまう。平和憲法を守れ、という主張が必ず出ます。これもちょっとおかしいと思ってます。
憲法改正のハードルを下げ、憲法改正しやすくする状況を作るのは悪い事ではないと思うのです。憲法を改正するにしても、最後は国民投票になるでしょうから、憲法を改正したら軍事行動を起こす国になる、だから改正させない、ってなんで分かるんですか?って事です。
国民だって馬鹿じゃない。そんな改正が行われようとしたら、全員「ノー」を突きつけると思うのです。おせっかいしないで欲しい。私たちだってそれ位判断できる力はあるよ、って事です。
もっと広い目で見て、今の法律で「厳しいなあ」「もう少し緩和していいんじゃない?」って部分。もっと言えば、国の干渉や規制はもう少し緩くしても大丈夫じゃない?って気がします。
「清き1票」を投じる事で、日本の将来を託す人を決めたい。特に今回は参議院ですから、個人の良識で物事を判断できる方が立候補しているはずです。政党政治ではない「良識の府」の選挙なんですから、「これは」と思う方に投票しましょう!投票率を上げて、国民が政治に関心を持っている事をアピールする絶好の機会になると思います。
ついに参議院議員選挙、公示になりました。子ども達のために、国が本腰を入れていただく良い機会かと思います。皆さん、選挙に行きましょう!「これは」と思う方に投票して下さい。国民の多くが関心を持っている事がわかれば、変な事ができなくなります。議員や政党を監視する、という意味からも投票率をあげる努力をしましょう!
選挙の度に各党の公約の中に入っている「憲法改正」という問題があります。今の憲法は、改正までのハードルが高い。なかなか改正の発議までいけない、という欠点があります。(あるように思います)だけど、ちょっと考えてみて下さい。
社会はすさまじいスピードで進化しています。腕時計が電話になるなんて、私が子どもの頃はSF映画の世界でした。でも、今はそれが可能。インターネットが社会を変え、文明の新化はすさまじいものがあります。そうなると、法律を作った時代に想定していたものと、実際の社会がかけ離れたものになっている事だって多いはず。それを憲法改正できないので「この法律の中の〇〇とは、△△まで含めるものとする」等々、「法律の読み替え」で何とか対応しています。でも、これでいいの?って事です。
法学部の学生が必ず刑法の講義で聞く話。「電気泥棒」というのがあります。
他人の家から電気を盗んだ人がいる。警察に捕まった。でも窃盗罪になるのか、って話になりました。物を盗むと窃盗罪。だけど刑法には「有体物を物とする」って規定があった。有体物とは目に見える形になったもの、という意味です。そうすると電機は目に見えない。有体物でないから、窃盗罪にならない、という訳です。裁判所はこう判断しました。「この法律で有体物とは、価値のあるもの、という意味である」この解釈で電気泥棒の方は窃盗罪となりました。直ぐに刑法が改正され「電機はこれを有体物と見做す」という一文が追加されたそうです。
さて、私の個人的な意見ですが、時代だけ大きく変わっているのに、憲法が変わらないのはおかしいのではないか、という事です。時代に合わせた「解釈」ではなく「内容」にするべきだと思います。ある意味「読み替え」ってどうにでもなります。法治国家と言うなら、きちんと法律に基づいた判断基準のもと、誰が見ても誰が判断しても同じ結果にならないといけないと思います。
こう言うと、憲法改正となると侵略戦争を行う国になってしまう。平和憲法を守れ、という主張が必ず出ます。これもちょっとおかしいと思ってます。
憲法改正のハードルを下げ、憲法改正しやすくする状況を作るのは悪い事ではないと思うのです。憲法を改正するにしても、最後は国民投票になるでしょうから、憲法を改正したら軍事行動を起こす国になる、だから改正させない、ってなんで分かるんですか?って事です。
国民だって馬鹿じゃない。そんな改正が行われようとしたら、全員「ノー」を突きつけると思うのです。おせっかいしないで欲しい。私たちだってそれ位判断できる力はあるよ、って事です。
もっと広い目で見て、今の法律で「厳しいなあ」「もう少し緩和していいんじゃない?」って部分。もっと言えば、国の干渉や規制はもう少し緩くしても大丈夫じゃない?って気がします。
「清き1票」を投じる事で、日本の将来を託す人を決めたい。特に今回は参議院ですから、個人の良識で物事を判断できる方が立候補しているはずです。政党政治ではない「良識の府」の選挙なんですから、「これは」と思う方に投票しましょう!投票率を上げて、国民が政治に関心を持っている事をアピールする絶好の機会になると思います。
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