ヤフーニュースを見ていたら、少子化対策、この数年が山場。ここで踏ん張らないと将来、子どもを産む年齢の方が極端に少なくなり、人口の維持ができなくなる。特に日本で必要なのは教育にかかる費用と乳幼児期のケアを手厚くすること、という記事がありました。なるほど、です。

高校の授業料、大学の授業料、公立学校の授業料相当分を私学に通う方に補助する制度は、とても良い事と思います。こう言うと「地方のFランク大学なんか税金の無駄。早く潰すべき」という方が多いのですが、私は反対です。たしかに首都圏には歴史もあり、名前も通っている大学がありますが、じゃあ高等教育を学びたい方、全て首都圏に下宿できるのか、という点です。学費は補助が受けられ、ある程度補充できたとして、下宿代の負担はできない。自宅から通える所にしてくれ、という家庭だって多いと思うのです。だとすると、地方のFランク大学と揶揄されようが地方の教育レベルを上げるために、なくてはならない存在だと言えます。その意味でも、首都圏の伝統校だけあれば十分と言うご意見、私は「元町エゴ」のように思えてなりません。地方にだって学ぶ場所は必要。それが地方の文化を育むことにつながると考えています。

次に、少子化対策として保育所の増設が提唱されています。0歳児から保護者が働いているかどうかにかかわらず、保育所に入園できるようにする。親に「自由に過ごせる時間」を提供する事で育児の負担を軽減する。このような目的だそうです。たしかに第一次産業主体で、大勢の家族に囲まれた生活を営んでいた時代は、子育ても母親一人に集中することなく、負担が少なかったとは思いますが、じゃあ今から日本も第一次産業主体の国に戻れるのか、と言う問題はあります。「だから保育所で0歳児から保育する」という発想に結びつくのは、ちょっと短絡的すぎる気もします。
幼稚園を含めた、全ての施設が、気軽に立ち寄れる「子育てステーション」として機能していく事も大切じゃないか、って思うのです。

特に行政が入ってくると「〇〇指定としての認証を受けて下さい」となります。最低限の内容を保証するためなら良いのですが、問題はその内容「何々事業、かれこれ事業、あれこれ事業のうち、2つ以上を選択する事。何々事業の場合は月1回以上、かれこれ事業の場合は週1回以上、あれこれ事業の場合は年間200日以上の開催が義務」とか「この事業を申請するにあたり、国の補助を受けている園は申請できない」(二重の補助は受けられない)等々、あれこれ「縛り」がきつすぎるので、なかなか申請できない現実があります。

では、幼稚園独自で開催しよう、と思っても、空き保育室がある場合はそこを転用できますが、なかなか空き保育室のある園ばかりではない。園の他に部屋を求めたり、古い民家を改築したりする事も考えないといけませんが、リフォームってお金がかかります。特に古い建物は「その当時は旧基準で良かったものが、新たに改築する場合は、現在の基準に適応していないといけない」という規則が合ったりして、思いのほか(特に水回り)お金がかかるものです。そのために、民間の補助を探した事がありますが、公営ギャンブル、赤い羽根共同募金、お年玉くじ付き年賀はがきなど、民間の施設に補助をしてくれるもの、けっこうあるんです。ところが…。

いくつか申し込んでみたものの「学校法人は対象外です。社会福祉法人なら対象になります」ってものばかりです。私の推測ですが、おそらく公営ギャンブルという賭博を行っている罪悪感からか「福祉に寄付をする」という事で社会の理解を得ようとする。その場合、「福祉」はいいけれど「学校法人は教育であって福祉ではないから対象外」ってなっているのでしょう。だって福祉を行っているNPO法人、一般社団法人、財団法人は対象になるのに、公益法人である学校法人が対象外って、私の頭では理解できないんです。特に幼保連携型認定こども園は、学校法人(幼稚園が母体となったもの)でも、社会福祉法人(保育園が母体となったもの)でも、全く同じ基準で運営され、補助金だって同じです。それなのに学校法人は対象外、という意味がわからない。憲法に保障された公平の原則に反する規則ではないか、と思っています。

子育て整備をするなら、地域のニーズに合わせた活動を行ってきた幼稚園が最も得意とするところ。あれこれ規制が強くて、誰も手を上げず、仕方ないから公立の保育所で、指定を受けた所が、いやいややっているような支援とは質も内容も違うものができるはず。だからこそ、幼稚園の持つ教育力を、もっと使って欲しいと思っています。これからは幼稚園が主体となった子育て支援が充実しないと、少子化に歯止めはかからないと思っています。ちょっと発想の転換と、規則の見直しを行うだけで、かなりの部分が解決すると思うんですけどねえ…。