国では子育て支援を行うため、児童手当の拡充(所得制限なし)に踏み切りました。私、所得制限廃止は賛成です。だって例えば「年収100万円まで」と決めたら100万1円の方は受給できません。児童手当を入れたら、100万円の人の方が多い可処分所得を得る事が出来る。これも制度で決めた以上仕方ないのですが、不公平感は残ります。じゃあ100万円でなく、200万円にしたら?これもボーダーラインの方にとっては逆転現象が起きます。本当に公平な方法は所得制限なし、しかないと思います。こう言うと高額所得者に税金を投入するのはおかしい、という意見も出ますが、じゃあ、いくらからが「高額職者」なのか、という問題が出ます。考えてみれば高額所得者は高額納税者のはず。高額納税者は還付してもらえず、税金の納入額が少ない方が恩恵を受けるのもおかしい、という意見も当然出てきます。ですからやはり、ここは所得制限なし、が一番だと思います。ところが児童手当等々、今まで支給されていた手当も見直す予定のようですが、一方で支給し、一方で廃止するんじゃプラマイゼロ。実質どうなるのか?本気で子育て支援をやる「つもり」があるのか、って思います。何か子育て支援がいいように「弄ばれている」気がしてなりません。ここは改善して欲しい所です。

  次に問題なのは「誰でも保育園」という制度が検討されているとのこと。これもおかしいです。0歳児から、仕事をしているかどうかに関係なく、保育所で預かれる制度のようですが、いかがなものでしょうか?私は児童手当、月に7万円、小学校入学まで支給していいと思います。子どもの成長って早いものです。「初めて言葉を発した」「初めてはいはいした」「初めて立った」「初めて歩いた」こんな(簡単な事でしょうが)人生の節目を、親が見る事で愛情が深まるのでは?と思っています。ですから「収入がないため、生活するために仕事をしないといけない」というのなら、児童手当を手厚くし、「子どもと一緒の時間を共有したい」と言う人に手を差し伸べる事も重要かと思います。
  逆に、仕事に生きがいを持っておられ、社会の中で自分のスキルを発揮し、社会に貢献したい。そのために働く、という選択肢を選ばれる方は、保育園を利用して下さい。ただし保育料は9万円です、という形にすればいいのです。そして最低賃金法を改定して、最低月9万円以上の手取りを保証するようにすればいいのです。
  よく「愛情は時間ではない。内容の濃さだ」という人もいますが、それは大人になってから。乳児のうちは「自分は愛されている存在だ」という事を、理屈ではなく肌で感じ、納得するだけの時間は不可欠だと思います。それには「いつでも親が傍にいること」が大切ではないか。その安心感(自分は愛されている存在だ。何かあった時、親が手を差し伸べてくれる、という意識)があるから、自信を持って行動できるようになるのでは?と思っています。

  日本の保育制度と言うものは、育児支援と言いますが、実質的な中身は「親の就労支援」です。昔は女性の年齢別就労割合が25歳から35歳前後、急激に下がる「M字型」の曲線でした。子育て期間中は仕事をしないで専念する事を選ばれる方が多かった事を意味しています。これを女性の活躍の場を広げる、という口実で欧米型の台形型曲線にしよう、そうしないと労働力が不足する。こう国は考えました。だから保育制度が改革された、と言うたびに「さあ、これだけ制度を整えました。お母さん、安心して働いて下さい。子どもの面倒は私たちが見ます」という色が強くなるような気がしてなりません。かく言う私たち、保育関係者も「子育て支援のため」という美辞麗句に踊らされ、子育て支援をしている「つもり」が「子捨て支援」の共犯者になってはいないか。自問自答する時があります。

 ある研修会で、この話題が出た時、「やはり親子で充実した時間を共有する事は大切だよね。何でも預けりゃいい、預かってくれる所が沢山ある、って風潮は良くないよね」という園長さんがいました。この方が最後に言った一言が忘れられません。

「そんなに子供を預ける事ばかり考えていたら、お母さん。あなたが年寄りになった時、真っ先に施設に預けられちゃいますよ」