10月30日(木)はハロウィン。この日は「仮装で登園して結構です」という日になっています。皆さん思い思いの仮装で登園して下さり。幼稚園全体が渋谷の交差点状態になりました。

 そもそもハロウィンという行事、日本ではなじみの薄かった行事ですが、本来のキリスト教のお祭りから今では仮装パーティーの日に変化したようです。ハロウィンデーにしたきっかけですが、数年前に仮装をして登園したお友達がいました。そのまま園で普段通り活動していたのですが「全員思い思いの仮装で登園し、普通に活動していたら面白いだろうな」と思ったのがきっかけです。その翌年には「仮装で登園してかまいません。ただし持ち物に剣や長い杖、槍、ピストルなどは持たないで下さい。そのままお昼の給食になりますので、汚れるかも知れない服装は考えて下さい。という簡単なルールだけは設けさせていただきました。私は「そのままの服装でワークブックや朝の体操なども普通通り活動し、お昼食べて、バスに乗って帰るので充分楽しいと思っていたのですが、せっかく仮装するならと、先生方もカチューシャ等で仮装し、ハロウィンパーティーを行う日になりました。
今では旭幼稚園恒例行事のひとつになっているようです。

 仮装パーティーの翌日は公開保育です。これは旭幼稚園50周年事業として、熱気球体験に始まり、記念式典、12月のクリスマスコンサートと園児さんが楽しめるものが中心になっていました。幼稚園がこの地で50年やってこられたのも地域の皆さんのおかげです。何かひとつ、地域の教育のため、お役にたてるものはないか、と考えた時、文部科学省が幼少の連携について「幼少の架け橋プロジェクト」というものを出していました。幼稚園と小学校、子どもがスムーズに進学し、とまどうことなく学習できる体制を整えて欲しい、というプロジェクトです。このプロジェクトを具体化する目的で、市内小学校の先生方に向けて公開保育を行ってはどうだろうか。その後で「幼稚園の保育と小学校の学習の違い・内容の違い・方法の違いなどを再確認するためのシンポジウムや話し合いの場を設けることで、幼少の連携を取るための一助になるのでは?と考えたからです。

 幸にもこの公開保育は栃木県の幼稚園から大学までの先生方で組織している連合教育会という会があるのですが、そこの研究指定事業に認定されました。そんな訳で市内小学校にご案内をさしあげたところ、小学校の先生をはじめ、栃木県教育委員会や連合教育会からも見学のお申込をいただきました。
 当日は幼稚園の先生方の方が緊張していましたが、普段通りの保育を見ていただく事ができました。年少さんが3歳なのにとても落ち着いている事、年中さんは元気がある事、年長さんは自分で考えると言う事がしっかりできている事など、お褒めの言葉をいただく事ができました。
できれば市内22小学校全部から見に来て欲しかったですね、と講師の先生から指摘がありましたが、小学校の先生方も児童数が減少し、どんどんクラス数が少なくなり、その結果先生の数も少なくなり、前の様に研修に出す事も難しくなってきている、という「内情」もわかりました。その点、設置基準を大幅に上回る先生がいて、体調不良でお休みしても、有休をとっても、代わりの先生で対応できる状態になっている旭幼稚園は恵まれているんだなあ、という事も再確認できました。

  園長の持論なのですが、幼稚園は「心身の発達を助長する」事が目的と記されています。小学校は発達に応じた(学年で定められた)授業を行い、知識を伝授する、という事が目的と学校教育法に定められています。すると目的が違うので、内容もやり方も違う。木に例えるなら、学習の基礎となる経験や活動をたくさん体験しておくのが幼稚園。その体験を基礎として、授業を行い、知識や技能を身に着けるのが小学校。だから幼稚園は「根」の部分、小学校は「幹・枝・葉っぱ」の部分だと思っています。大きな木になるには、深く広く根を張る必要がある。地下にあるだけに見えない部分ではありましが、非常に重要です。大きな根が張っているから、大きな木になれる訳です。この「見えない部分」と「見える部分」の差が幼少の差だと思っています。これは目的が違っているだけに、すんなりとスムーズな接続は難しいでしょう。でも、「幼稚園と小学校は目的としているものが違うんだ」という事を、幼小お互いがわかっていないと「1年生に字を教えると、間違った書き順で覚えていて、その矯正に時間がかかるので、書き順からしっかり教えて下さい」という意見「45分座っていられないと困ります」という意見は本質から外れているものだ、と言う事が分かると思います。

 園長の時代は英語は中学校に入学してから始まりました。アルファベットは知っていても、その書き順など習ったことはなく、皆自己流で書いていました。でも書き順が違うから、小学校(又は家庭)でしっかり練習させて下さいという要望は出ていなかったし、先生方もそんな事は言いませんでした。自然発生的に、興味や関心がおもむくままに自己流で覚えた事、いっぱいあるはずです。釘の打ち方ひとつにしても、何か物を作るにしても、本来のやり方を知らないまま、見様見真似でやっている事、大人でも沢山あります。その経験を基礎に、正しい使い方・やり方を覚えるのが教育だと思うのです。全く経験のない方と、見様見真似にせよ、やった事があるという経験を持っている方の違い。どちらが会得するのが早いか。結論は出るはずです。

シンポジウムやその後の討議の時間で、このような点について理解が深まりました。その意味で、本当に良い公開保育ができたなあ、と思います。担任の先生方の努力、資料作成のため、夜遅くまで残業してくれた教務主事、受付や会場設営に尽力して下さった事務、主幹、副園長と皆さんのおかげで公開保育が無事に終了できた事に感謝しています。ありがとうございました。