少子化の波が止まりません。「ひのえうま」の年、極端に出生率が下がりました。その数字は絶対に超えることが無いだろう、と言われていたのに、いとも簡単に破られてしまいました。いわゆる「1,57ショック」というものです。
その後、出生率は下がりに下がり、出生率推移の下位予測(一番下になったと予測される数字)をも下回るようになっています。国も手をこまねいていた訳ではありません。エンゼルプラン、新エンゼルプランなど、様々な政策を打ち出しましたが、全く効果がありません。そして、その延長上に今があります。
出生率が下がり始めた当時は、まだ楽観視していた部分があります。「もう一度ベビーブームが来て、出生率は持ち直すはず(持ち直して欲しい)」という願いも空しく、ベビーブームは起きませんでした。
当時、出生率低下の影響を一番受けていたのが幼稚園です。例えば「今年の出生者数、昨年に比べて1割減った」という状態だったとしましょう。小学校なら6年後、中学校なら9年後、高校なら12年後、大学短大なら15年後に訪れるので、それなりの対策ができました。でも、幼稚園なら3年後にその波が来る訳です。ほとんど対策も立てられないまま、その時を迎える事になります。時の連合会も、この問題を取り上げてはいましたが、こと出産という他力本願的な問題でもあり、「1割園児が減ったら、1割保育料を値上げすればいい」程度の認識でした。これでは根本的な解決にはならないのです。人口そのもの、出生率そのものが向上しないと意味をなさないのです。
では、出生率があがらない原因を考えていくと「若年労働者の生活が厳しい事」が根本的な原因ではないか、と考えています。
つまり、収入が安定しない。先の見通しがたたない。将来の人生設計が描けない。だから結婚をためらう。結婚できなければ、当然出生者も増えない訳です。ここに根本的な原因があると思っています。
この流れは終身雇用制という日本独自の雇用形態が崩れた事が大きな要因になっていると思っています。終身雇用制が普通だった時代、5年後には係長になって、給与はこの位になる。10年後には課長になって、給与はこの位に上がっている。15年後は部長補佐、20年後には部長になる。こんな姿が「ある程度」描けていたはずです。毎年、必ず定期昇給があり、会社の業績にもよりますが、賞与も出る。お父さん一人の働きで、奥様、複数の子どもの生活を賄う事もできていました。それが崩れたのです。規制緩和を錦の旗に、働き方改革を推し進めました。一応、「能力ある人の給与が低く、海外の企業に引き抜かれる例が多くなった。このままでは日本の頭脳が流出する事になる。能力のある人には年間2千万円・3千万円の給与も可能にしよう」という威勢の良い改革でした。これを見て「自分も給与があがる」と思った方は多いと思います。しかし現実は「普通の能力しかない方は普通の給与でいいね」という事になりました。しかも規制緩和で有料人材紹介が可能となったり、派遣労働者が大幅に増えたりしました。でも、派遣労働者。企業が払う金額の半分くらいしか労働者にわたっていません。人材派遣会社が潤うだけで、労働者の給与があがっていないのです。しかも派遣労働は、契約期間が終わればそれで終了。次のお声がかかるまで「無職」状態になってしまいます。この状態では結婚もましてや出産育児と言う事にためらいを持つのも当然だと思うのです。郵政民営化、規制緩和を叫んで改革を進めた結果、日本の国力が極端に弱くなったような気がしてなりません。
先のエンゼルプラン、新エンゼルプランに話を戻します。これは全省庁あげて、出生率を向上するため、できる限りの政策を考えよう、というコンセプトでした。例えば勤務先と自宅が遠いと仕事に支障が出る。なんとか職場の近くに住めるような環境を整えよう、とか「のびのび子育てできるよう、庭付きの一戸建て住宅に住めるようにしよう」とか、各省庁の管轄内で、出来る限りの方策を取る予定だったのです。でも、厚生労働省が「子育てしやすい環境作り」という事で、保育所を増やすとか、長時間保育、休日保育を進めるといった「子育てしやすい」とは言いながら、その内容は「働くための子育て政策」を推し進めたため、日本の子育て環境が非常に悪くなった。保育の質が下がっていった、と考えています。
この現状から脱却するためにも、再度終身雇用制の復活をするべき、と私は考えています。将来の人生設計ができる社会でないと、結婚子育てに踏み切れない方々が増えるだけ。結果、派遣と海外からの労働力に頼る社会になってしまっているのが今の日本ではないでしょうか。なんとか国民全体の所得があがるような社会を作っていかないと、わが国の国力がどんどん低下し、立ち直れない事にならないか。心配でなりません。
その後、出生率は下がりに下がり、出生率推移の下位予測(一番下になったと予測される数字)をも下回るようになっています。国も手をこまねいていた訳ではありません。エンゼルプラン、新エンゼルプランなど、様々な政策を打ち出しましたが、全く効果がありません。そして、その延長上に今があります。
出生率が下がり始めた当時は、まだ楽観視していた部分があります。「もう一度ベビーブームが来て、出生率は持ち直すはず(持ち直して欲しい)」という願いも空しく、ベビーブームは起きませんでした。
当時、出生率低下の影響を一番受けていたのが幼稚園です。例えば「今年の出生者数、昨年に比べて1割減った」という状態だったとしましょう。小学校なら6年後、中学校なら9年後、高校なら12年後、大学短大なら15年後に訪れるので、それなりの対策ができました。でも、幼稚園なら3年後にその波が来る訳です。ほとんど対策も立てられないまま、その時を迎える事になります。時の連合会も、この問題を取り上げてはいましたが、こと出産という他力本願的な問題でもあり、「1割園児が減ったら、1割保育料を値上げすればいい」程度の認識でした。これでは根本的な解決にはならないのです。人口そのもの、出生率そのものが向上しないと意味をなさないのです。
では、出生率があがらない原因を考えていくと「若年労働者の生活が厳しい事」が根本的な原因ではないか、と考えています。
つまり、収入が安定しない。先の見通しがたたない。将来の人生設計が描けない。だから結婚をためらう。結婚できなければ、当然出生者も増えない訳です。ここに根本的な原因があると思っています。
この流れは終身雇用制という日本独自の雇用形態が崩れた事が大きな要因になっていると思っています。終身雇用制が普通だった時代、5年後には係長になって、給与はこの位になる。10年後には課長になって、給与はこの位に上がっている。15年後は部長補佐、20年後には部長になる。こんな姿が「ある程度」描けていたはずです。毎年、必ず定期昇給があり、会社の業績にもよりますが、賞与も出る。お父さん一人の働きで、奥様、複数の子どもの生活を賄う事もできていました。それが崩れたのです。規制緩和を錦の旗に、働き方改革を推し進めました。一応、「能力ある人の給与が低く、海外の企業に引き抜かれる例が多くなった。このままでは日本の頭脳が流出する事になる。能力のある人には年間2千万円・3千万円の給与も可能にしよう」という威勢の良い改革でした。これを見て「自分も給与があがる」と思った方は多いと思います。しかし現実は「普通の能力しかない方は普通の給与でいいね」という事になりました。しかも規制緩和で有料人材紹介が可能となったり、派遣労働者が大幅に増えたりしました。でも、派遣労働者。企業が払う金額の半分くらいしか労働者にわたっていません。人材派遣会社が潤うだけで、労働者の給与があがっていないのです。しかも派遣労働は、契約期間が終わればそれで終了。次のお声がかかるまで「無職」状態になってしまいます。この状態では結婚もましてや出産育児と言う事にためらいを持つのも当然だと思うのです。郵政民営化、規制緩和を叫んで改革を進めた結果、日本の国力が極端に弱くなったような気がしてなりません。
先のエンゼルプラン、新エンゼルプランに話を戻します。これは全省庁あげて、出生率を向上するため、できる限りの政策を考えよう、というコンセプトでした。例えば勤務先と自宅が遠いと仕事に支障が出る。なんとか職場の近くに住めるような環境を整えよう、とか「のびのび子育てできるよう、庭付きの一戸建て住宅に住めるようにしよう」とか、各省庁の管轄内で、出来る限りの方策を取る予定だったのです。でも、厚生労働省が「子育てしやすい環境作り」という事で、保育所を増やすとか、長時間保育、休日保育を進めるといった「子育てしやすい」とは言いながら、その内容は「働くための子育て政策」を推し進めたため、日本の子育て環境が非常に悪くなった。保育の質が下がっていった、と考えています。
この現状から脱却するためにも、再度終身雇用制の復活をするべき、と私は考えています。将来の人生設計ができる社会でないと、結婚子育てに踏み切れない方々が増えるだけ。結果、派遣と海外からの労働力に頼る社会になってしまっているのが今の日本ではないでしょうか。なんとか国民全体の所得があがるような社会を作っていかないと、わが国の国力がどんどん低下し、立ち直れない事にならないか。心配でなりません。
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