最近、行政の方々より「〇〇マニュアルはありますか?」という問い合わせが多くなりました。わが旭幼稚園でも必要と思われるもの、法律で規定されているものは用意してありますが、今までは「あります」と言えばよかったものが、最近では「見せて下さい」と提示を求められ、その内容についてチェックが入るようになりました。

 例えば、たった1行「災害が起こった際は園長の指示に従う」ではいかがなものか、と思いますが、あれについて書いてない、これについて不備がある、という指摘は地域の実情に応じていない場合があるのも事実です。


 例えば水害の場合。足利市の指定避難所(公共施設)は毛野小学校、東幸楽荘、毛野公民館になりますが、皆さんはご存知と思いますが幼稚園より低い位置にあります。毛野小学校、東幸楽荘は尾名川のすぐそばです。もし、渡良瀬川に通ずる水門を閉じてしまった場合、水が逆流して浸水する確率が高いと思われます。だとすると、「幼稚園に留まる」という選択肢が一番安全な事になります。(旭幼稚園の場所は水害・がけ崩れ、共に危険区域から外れています。)

 マニュアルは「ないと行動の指針がわからない」という事になりますが、定めてしまうと「何が何でもこの通りに行動しないといけない」という解釈になり、かえって危険という事もあると思うのです。

 東日本大震災の折、マニュアルに従って教育委員会の指示を待って校庭待機していた児童が津波にまきこまれた例。あれこそマニュアルの弊害だと思います。だいたい小学校の先生は全教科教えられるよう学習していますから、当然の事ながら地学(理科)は学んでいるはずです。
 地震は地殻変動の結果起きるものである、という原理がわかっているなら、あれほど大きな地震が起きれば、津波が起きる事は想定の範囲内。いや、むしろ津波が来るという確信のもとに行動するべきです。
 教育委員会の指示を待つことなく、高台に避難する事をなぜしなかったのか。マニュアルに従っていれば「判断に問題ない。私が独断で行った事ではない」という「言い訳」にはなりますが、生徒の生命を守るために作ったマニュアルに惑わされ、適切な判断ができなくなるという矛盾を生じます。非常時なのですから、むしろ「責任は私がとるから、早く高台に避難させなさい」と言う決断、なぜできなかったのだろう、と思っています。

結果論でなく、児童と教職員の生命を守るというマニュアルの原点から外れているとしか思えないのです。

 わが旭幼稚園の災害対策マニュアルは「園児と自分自身の安全確保のため、最も適切と思われる避難を行う」という事が最初にかいてあります。言い換えれば生き残る確率が最も高い所へ避難しなさい、という事です。一応、何々の場合とか、赫々の場合とか例示しておりますが、最終的にはこの「現場の判断」が最も適切な行動だと思っています。毎月の避難訓練も地震・火事など実際に行動してみたり、誘拐防止や火遊びは防止等々の講話をしたり、ありとあらゆる想定のもとに行っているのですが…。それこそ「富士山が噴火した場合」「北朝鮮が攻めてきた場合」「隕石が落ちてきた場合」(どれも確立がゼロではない)などなど、どこまで想定するか際限がなくなる。そこも欠点です。悩ましい。