しばらく事務仕事が忙しく、ブログをお休みさせていただきましたが、今回は「小学校教育との接続」についてお話させていただきます。
昔の事ですが、各地で幼小連携事業なるものが行われていました。幼稚園・保育園の先生と小学校の先生方が話し合う場です。足利でも行われていました。「意見交換の場」という位置づけでしたが、実際は「こんな子どもがいて、小学校は大変だ。幼稚園のうちに、しっかりしつけをして欲しい」「45分、座って授業を受けられるよう、私語をしないよう指導してくれないと困る」「文字を教えるなら、しっかり描き順まで教えて欲しい。間違って覚えている子どもが多く、その矯正に時間がかかって授業がすすまない」等々、小学校の先生方から注文をつけられる場でした。旭幼稚園から出席した先生は半べそ状態で「こんな事を言われました」と訴えたものですから、先生を泣かす訳にはいきません。翌年は私が出席しました。
冒頭、「みなさん、なだ・いなださんってご存知ですよね。お医者さんで教育学者の先生です。この方が、日本の教育機関はなぜか大学が一番偉くて、次が高校、その下が中学校、その下が小学校で幼稚園は最下位、みたいな風潮があります。でも、医者に例えるなら小児科医と成人病医みたいなもの。相手の年齢が違うだけで、医者としての上下はありません、っていってましたよ。幼稚園の教諭も小学校の教諭も、その対応する年齢が違うだけで、どっちが上下ってありませんよね?書き順の指導とか、45分我慢させるとか、そんな次元の低い話は止めましょう」って(若気の至りで)言ってしまいました。次いで「先ず幼小連携の第一歩は行事の調整。そしてお互いの立場をわきまた上での意見交換じゃないですか?」と続けると(本当は、ここには書けないような過激な表現もあったせいか)小学校の先生方、山のように持ってきた資料を皆さん机の下に収めてしまいました。その後の話し合いは、小学校で困っていることと幼稚園で困っている事の事例報告のような、なごやかな話し合いとなりました。
幼稚園と小学校が対等の立場で話し合う機会を持てるようになったのは、小学校に生活科という単元ができた頃です。それまでは…(いや、止めておきましょう)
前置きが長くなりましたが、そんな訳で、今回は小学校教育との接続というお話です。キモとなるポイントは、幼稚園における幼児教育は小学校を含めた「教育の基礎」である、という点です。
教育要領では幼児教育が小学校以降の生活や学習の基盤の育成につながるよう配慮しなさい、と記載されています。いきなり小学校で教育がスタートする訳ではない。子どもの発達や学びとは幼稚園の自主的な活動の中で体験する事から小学校教育へと連続しているんだ、という事です。
この学び方も、幼稚園では体験を重視して自ら環境とかかわる事で理解(体験)することを重視し、興味や関心の幅を広げていく事に主眼が置かれています。ですから、小学校の教科学習を先取りする事が幼児教育ではない。幼児教育の本質は別の所にある、という事がおわかりいただけると思います。
教育要領では、「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」という形で記載されています。つまり、幼児期の終わりイコール小学校1年生の最初の姿であるとも言えます。ここを共有する事が大切だという事です。
次回は、この10の姿について簡単にさらっと説明させていただく予定です。
昔の事ですが、各地で幼小連携事業なるものが行われていました。幼稚園・保育園の先生と小学校の先生方が話し合う場です。足利でも行われていました。「意見交換の場」という位置づけでしたが、実際は「こんな子どもがいて、小学校は大変だ。幼稚園のうちに、しっかりしつけをして欲しい」「45分、座って授業を受けられるよう、私語をしないよう指導してくれないと困る」「文字を教えるなら、しっかり描き順まで教えて欲しい。間違って覚えている子どもが多く、その矯正に時間がかかって授業がすすまない」等々、小学校の先生方から注文をつけられる場でした。旭幼稚園から出席した先生は半べそ状態で「こんな事を言われました」と訴えたものですから、先生を泣かす訳にはいきません。翌年は私が出席しました。
冒頭、「みなさん、なだ・いなださんってご存知ですよね。お医者さんで教育学者の先生です。この方が、日本の教育機関はなぜか大学が一番偉くて、次が高校、その下が中学校、その下が小学校で幼稚園は最下位、みたいな風潮があります。でも、医者に例えるなら小児科医と成人病医みたいなもの。相手の年齢が違うだけで、医者としての上下はありません、っていってましたよ。幼稚園の教諭も小学校の教諭も、その対応する年齢が違うだけで、どっちが上下ってありませんよね?書き順の指導とか、45分我慢させるとか、そんな次元の低い話は止めましょう」って(若気の至りで)言ってしまいました。次いで「先ず幼小連携の第一歩は行事の調整。そしてお互いの立場をわきまた上での意見交換じゃないですか?」と続けると(本当は、ここには書けないような過激な表現もあったせいか)小学校の先生方、山のように持ってきた資料を皆さん机の下に収めてしまいました。その後の話し合いは、小学校で困っていることと幼稚園で困っている事の事例報告のような、なごやかな話し合いとなりました。
幼稚園と小学校が対等の立場で話し合う機会を持てるようになったのは、小学校に生活科という単元ができた頃です。それまでは…(いや、止めておきましょう)
前置きが長くなりましたが、そんな訳で、今回は小学校教育との接続というお話です。キモとなるポイントは、幼稚園における幼児教育は小学校を含めた「教育の基礎」である、という点です。
教育要領では幼児教育が小学校以降の生活や学習の基盤の育成につながるよう配慮しなさい、と記載されています。いきなり小学校で教育がスタートする訳ではない。子どもの発達や学びとは幼稚園の自主的な活動の中で体験する事から小学校教育へと連続しているんだ、という事です。
この学び方も、幼稚園では体験を重視して自ら環境とかかわる事で理解(体験)することを重視し、興味や関心の幅を広げていく事に主眼が置かれています。ですから、小学校の教科学習を先取りする事が幼児教育ではない。幼児教育の本質は別の所にある、という事がおわかりいただけると思います。
教育要領では、「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」という形で記載されています。つまり、幼児期の終わりイコール小学校1年生の最初の姿であるとも言えます。ここを共有する事が大切だという事です。
次回は、この10の姿について簡単にさらっと説明させていただく予定です。
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